八幡の歴史

それは官営八幡製鐵所から始まった!


明治維新以降、「富国強兵、殖産興業」のスローガンのもと鉄鋼業の早急な確立が望まれていたが、日清戦争を契機としてその機運が急激に高まり、1986年(明治29年)、官営製鐵所の設置が国会で承認、翌年北九州の八幡に正式に決定し1901年(明治34年)2月に初代東田第一高炉が初出銑しました。
その後太平洋戦争の3次に渡る空襲を受け、市街地は大きな被害を受けましたが、製鐵所への被害は比較的小さく済み、操業規模は10分の1に縮小したものの日本で唯一八幡製鐵所だけが鉄鋼生産を続け、戦後復興に非常に大きな役割を果たします。
高度経済成長のピーク時には計10基の高炉が稼動し、粗鋼生産900万トン、鋼材生産は750万トンに達しました。しかしながら日本経済の構造変化、消費立地の進展、設備の大型化などにより、その役割は次第に変わっていきます。
今も八幡東区東田に残る高炉は創業期の東田第一高炉の名称を引継ぎ、十代目として1964年(昭和39年)に建設されたものです。“1901”と掲げられたこのシンボルこそ日本の近代産業化を支えた八幡のアイディンティティを示す近代化遺跡となっています。

これが「八幡ぎょうざ」だ!

多種多様な餃子の街、八幡 – 八幡ぎょうざの特徴

庶民派のスタミナ料理として八幡の食文化として根付いてきた【八幡ぎょうざ】は、鉄なべ餃子、ひとくち餃子、スタミナ餃子、手羽餃子、スープ焼餃子、揚げ餃子など、多種多様です。
また北部九州ではお馴染みですが、薬味に「柚子胡椒」を使って食べるのもこの地域ならではの特徴です。
大きく分けて以下の4つの特徴で分類されます。

4つの特徴

  • 1. 鉄なべ系餃子

    いまや全国的に人気ですが、餃子を鉄鍋に乗せて出すスタイルは八幡が発祥地です

  • 2. 中国本土系餃子

    本場・中国の味を継承する 肉厚の皮と中身がジューシーな餃子

  • 3. ラーメン系餃子

    八幡では餃子を豚骨スープで焼くラーメン店が多い。飴色の羽が特徴!

  • 4. お母さん系餃子

    薄皮にたっぷりの餡と女将さんの愛情たっぷり餃子は格別!!

八幡ぎょうざのルーツ

日本の近代化を支えたスタミナ源

1901年官営八幡製鐵所の設置以来、鉄の都として日本の近代化を支えた福岡県八幡の中心地(現在の北九州市八幡東区)では、製鐵所勤務の労働者の肉体疲労が激しく、スタミナ素材を好んで食べていた事や、中国との鉄鉱石取引が始まることによって大陸と密な関係となって餃子文化が浸透。
特に戦後の物資が乏しく貧しい時代、少ない食材で作ることができる栄養満点の餃子は市民の口に合いよく好まれたそうで、それが【八幡ぎょうざ】の起源ではないかと言われております。

八幡ぎょうざが生まれた経緯や普及への取り組み

起業祭のイベント – 八幡ギョウザ・ワールド!


かつて、「鉄は国家なり」を合言葉に鉄の都として栄えた北九州市八幡から、街に埋もれている〝食〟素材を発掘し、その潜在力を活かしながら、新しい食ブランドを構築する事で、地域活性化と賑わい創出に繋げていけないか・・・そんな想いを持った市民が立ち上がり、街の歴史から掘り起こして最終的に探しあてたのが「餃子」でした。その後、【八幡ぎょうざ】として、ブランド名が決定し、マップ作成や市民有志による八幡ぎょうざ協議会の設立、製鐵所起業を記念して始まった地元最大のお祭り(例年約70万人)でも、「八幡ギョウザ・ワールド!」などイベントを大きく開催したりして、徐々にその名前は内外に広く浸透してきております。

第2回小倉BQ食KING - 天下分け麺の戦い2010

最近では、それまでの活動の成果からか新聞・雑誌・テレビなどマスコミの取材が殺到し、ブランドの認知スピードも当初の想定を大きく上回るものとなってきました。
2010年3月に小倉で行われた「第2回小倉BQ食ING~天下分け麺の戦い2010~」で、九州各地のB級グルメが対決するBQグルメの部門で1位に輝いたり、10月に静岡県浜松市で開催された「全国餃子サミット2010」にも参加したり、その活動は徐々に全国レベルになろうとしております。

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